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【フリー】KJT本部会 in 仙台

こんにちは、じゆんじゆんです。

今日はKJT本部会について書きなぐります。


【KJT本部会 in 仙台】

僕が大学生活のうち3年間を過ごした寮はKJと呼ばれている。

最初聞いたときは、なんだこのダサい名前は、田舎出身のやつらがイキってつけた「都会っぽい」名前みたいだな、吐き気をもよおしそうだと思ったが、数ヶ月でその呼称に慣れてしまった。


僕が大学1年生だった2012年は、ガラケーからスマホにかわり、連絡手段はメールからラインにかわっていった時代だった。

当時のKJはというと

「お酒」「麻雀」「落単」

という三種の神器を皆が兼ね備えており、

酒に溺れる=正義というような風潮があった。

(ここではっきりさせておくが、僕は未成年の間にはお酒は一滴ものんでいない。)


以前の【フリー】の記事でもかいたが、

とてつもない覚悟で大学進学してきた僕は、

KJのそういうだらけた部分が好きにはなれず、どこか距離を置いていた。

飲み会にはそもそも出ないし、出たとしてもすぐ自分の部屋に戻っていた。

大学が楽しかったし、KJでの時間が邪魔でしょうがなく感じていた。

僕は人と接するのが、そこまで得意ではないし、そもそも1人の時間がないと死んでしまう性格なので、どんどん人を避けていき、いわゆる寮で見かける事が少ない「レアキャラ」としてのポジションを確固たるものとしていた。


それを心配してくれた職員、先輩の力で、僕は少しずつKJと関わりはじめていった。

その第一歩にあたるものの1つが、

KJT(KJ東北)だった。

もう大学2年の冬だった。


僕が自分から飲み会を企画するなんて、あの頃の先輩や職員が知れば驚くのかもしれない。

しかも最初にひらいた飲み会が、KJの中で東北出身者だけをあつめた、いわゆるシティボーイぶった田舎者の考えつきそうな飲み会だなと自分が少し嫌になった。


かくして大学3年の春、記念すべき第1回目のKJTが開催された。

それから6年、2019年の年末についに仙台でのKJTが開催された。


KJTの「本部」はどこにあるのか

学会でも長年、議論され続けている問題である。

KJの中で東北出身者を集めたのだから、そもそもの母体はKJ、すなわち本部は東京と唱える「東京本部派」

いやいや東北のメンバーが集まっているのだから、東北で最も栄えている仙台が本部と唱える「仙台本部派」に二分される。

最近では創設者である私の故郷である郡山が本部と唱える新興の「郡山本部派(過激派)」のメンバーも増えてきている。

彼らは話し合いで和睦を求めても、武力で反抗してくるので、注意が必要である。



本題に戻るが、KJT本部会は

去年の秋頃、後輩と話していたら、久しぶりに集まろうという事になり、4個下まで誘っての一大イベントとなった。


お店は「石巻港 津田鮮魚店」という、仙台駅から5〜10分くらい歩いたところで、

魚介が有名な店だった。

人の顔以上あるマグロを、スプーンで削って食べるという贅沢な料理が記憶にのこっている。


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後輩たちは、皆それぞれに成長していて、先輩として僕が何かをしたわけではないけれど、とても元気を貰えた会だった。


久しぶりの仙台は、更に都会になっていて、そこはあの地震を経験した東北人として、背中を押される思いだった。


今の進路の先がどうなっていくかは分からないが、またいつか戻ってこれるよう、頑張っていこうと決意して、仙台から郡山に帰省した。


KJTは、僕がはじめて企画した飲み会で

僕がKJを好きになる心の支えともなった会である。

卒業しても、またこうして集まれた事に感謝したい。


ありがとう、仙台

ありがとう、KJT